不登校0(ゼロ)について考えてみた。
こんにちは^ ^
不登校経験者ですが、この前まで8年間小学校の先生をしていました、さちこです。
学校嫌い、先生嫌いだった私が先生になった理由はまた他の機会に詳しく書くとして…
今回は、自治体が目標として掲げているところもある「不登校0」問題について。
「不登校0」
説明するまでもなく、不登校の児童・生徒の数を0にしましょう。というものです。
つまり不登校を無くしましょう!
という何とも恐ろしい目標です(°_°)
恐ろしいと感じる理由を上げていきます。
①誰にだって苦手な人場所、合わない場所というものがある。
たまに例え話で使わせて頂いているんですが、知人にディ◯ニーランドが嫌いという人がいます。
夢の国と言われているような場所でも嫌いな人がいるわけです。
だったら、学校嫌い、学校が合わないという子がいても、ちっともおかしくないことです。
むしろ、学校嫌い、合わないがあって普通です。
ただ、旅行だったらディ◯ニーが嫌なら他行けばいいやってなるけど、学校はそうはいかないですよね。
他に選択肢がないからです。今の日本には。
フリースクール、ホームスクーリング等が学校と同じ立場にあれば、学校に行けなくなっても、「だったらどうしようかな?」と保護者も考えることもできるかもしれませんが、そうではないですよね。
なので、不登校になったら「どうしよう!何とかして行かせなきゃ!」となってしまう。
義務教育という言葉もありますが、子どもたちにあるのは、あくまでも「教育を受ける権利」です。
それなら、どんな教育を受けるか選択する権利も与えて欲しいところです。
②不登校0は、当事者の子ども、保護者、そして学校を苦しめる。
教育現場に8年間いて思ったのは「不登校0」は誰も幸せなれない目標だということでした。
という式が成り立ちます。
すると、当たり前ですが1番傷つくには当事者である子どもです。
今まで、ひたすら我慢して、でもそれを言えなくて、我慢の度合いが超えてしまった結果不登校になってしまった子に対して、
「不登校なんてダメだ!甘えるな!」
って言えますか?
無理です。
不登校になる前に十分すぎるほど傷ついてきた子をこれ以上苦しめることになります。
そして保護者。
子どもが苦しんでいる。
でも学校には行かせなきゃ。
子どもの苦しみと学校との連携との間で板挟みになってしまうストレスは計り知れません。
余談ですが、私の母親と祖母は、私が不登校になったとき、お祓いにまで行っていたそうです。(°_°)
他の人から見れば、滑稽な姿かもしれませんが、当事者は本気で藁にもすがる思いだったということがわかりますね。
これも、今となっては笑い話なんですが!
そして最後に学校、とくに担任の先生でしょう。
学校先生と一口に言っても、いろいろな方がいらっしゃいますので一概には言えませんが、私の経験から言うと、やっぱり真面目な人が多いです。
それも融通の効かない真面目さが、自分も子どもも苦しめることになります。
どういうことかというと、真面目がゆえに「不登校0」を実現するために真面目に頑張ってしまうのです。
なんとかして学校に来させなければ、というプレッシャーは、どうしたって隠すことができるものではないです。
特に不登校になる子の中には、人の感情に敏感な子が多いので、すぐに気づいてしまいます。
そして、先生のとる行動が自分のためではなく、目的は別のところにあるということが分かってしまうと、溝が生まれることになりまねません。
①で書いたように、不登校は何も特別なことではないというのが私の考えです。
もちろん、いじめなどが原因で起こる不登校については、少し話が違いますので当てはまらないこともあるということは、最後に付け加えさせていただきます。
そして、私が目指す「不登校0」は、不登校で必要以上に傷ついたり苦しんだりする子を0にすること(*^^*)
不登校でもいいんだよ!
その経験は、きっと人生の糧になる。
今、不登校で苦しんでいる人の、明日が少しでも明るいものでありますように。