《裏》不登校だった私が先生になった理由。
こんばんは。
不登校経験者で元教員のさちこです。
昨年度いっぱいで、小学校教諭の仕事を辞め、現在は不登校支援の仕事をしています。
前回の記事で、なぜ不登校経験者の私が小学校の先生になったのか、その表向きの理由を書きました。
その記事でも、少し触れましたが、私は大学進学時まで教員になるなんてこれっぽっちも思っていなかったんです。
今回はその辺りの理由について、詳しく書いていきます。
①親の影響が強すぎた。
身もふたもないですが、これに尽きるかもしれません。
私は教員を辞めるまで、親の敷いたレールから逃れることができませんでした。
小さい頃から人見知りで、母の後をくっついてまわっていた私。
母親の存在は絶対だったんです。
これ長女に多い気質だと思います(笑)
そして、小さい頃から私は、わがままとか自己中とか(笑)言われて育ってきました。
私の家は私以外みんな、血液型がA型かAB型で、それもわがままと言われる1つの要因となっていました。
だから、そう思い込んでいたのです。
わがままは嫌われる。
自己中は友達できない。
そう家で言われ続けたので、外では反動でめちゃくちゃいい子でした。
「みんなに好かれるさちこちゃんみたいになりたい。」なんて手紙をもらうほど(笑)
どんだけいい子だったんだ、私。笑
笑い話にできるのも今だからですが、この思い込みはずっとずーっと引きずるわけです。
親のしつけって、いわば洗脳だと思います。
あと、かなり世間体を気にする両親でしたので、私自身もそういう思考をかなり受け継いでいます。
なので教員辞めるまで、決心固めるのが大変だったのは言うまでもないかもしれませんね。
余談ですが、辞める時の相談は親には一切しませんでした。
引き止められること、反対されること、文句を言われてケンカになることが目に見えていましたので。
それに、もういい歳したい大人が仕事辞める相談を親にするのもまともじゃない気がして(笑)
少し話が逸れましたが、何をするにも親の影響が強かったわけです。
②進みたい進路を反対された。
高校のときです。
心理学を勉強してカウンセラーになりたかった私は、心理学の勉強ができる大学を志望していました。
しかし、その時から親は
心理カウンセラーじゃ食べていけない
そもそもわがままなお前には向いてない
と、まぁ、反対の嵐(笑)
私は不機嫌になりつつも、心理学の勉強ができる教育学部を選びました。
カウンセラーの道がダメでも、教員になれるという名目で親を納得させるためです。
無事志望校には合格し、大学生活をスタートさせました。
大学自体はとても楽しかったのですが、本格的に進路を考える段階になって、またも親の反対を喰らいます。
私は大学院まで行って、臨床心理士の受験資格を取るつもりでした。
しかし、院まで出すお金はない、と。
2つ違いの兄は院まで行かせてもらっているのに(°_°)
あらびっくりですね(笑)
今思えば、もう黙って院試受けるとか
働きながら通うとかしてたらよかったのかなとも思うけど、当時まだまだ親は絶対の私。
親が反対しているなら、と諦め大人しく教員になる道を進みはじめたわけです。
ただ、目標があれば頑張れる上に、教員採用試験受ける友達は周りにたくさんいたので、試験勉強はとても楽しかったです。
まとめ
親のしつけが洗脳のごとく残っている。
親のいうことが絶対。
というのは、結局のところ心の奥にあるのは「親に認めて欲しい。」
という承認欲求なんですよね。
愛情不足?と言われると少し違う気がします。
なんでかって言うと、親子とはいえ別の人格を持った他人なわけです。
親が与える愛情と子どもの求める愛情が一致してないことって、結構多いんじゃないかと思うんです。
私は形はどうあれ、愛情を十分受けて育ったと思ってるので、あとは自分の問題だったのだと思います。
親はこういう考え、でも私はこうしたいから、こうする。
やっと今、そう言えるようになりました。
教員を辞めたのはその一歩。
ようやく自分の道を歩き始めた感じです。
「こうしたい!」
と言える自分を誇りに思って、歩き続けたいと思います(*^^*)