柴ゆき道中!

不登校、鬱、HSP、でもまぁ結果オーライだよ。

不登校だったとき通知表に「思い込みが激しい」と書かれた(笑)

こんばんは(*^^*)


不登校経験者で元教員。

生まれながらの不器用人間、さちこです。


今日は

「登校だったとき通知表に『思い込みが激しい』と書かれた(笑)」件について。


①小学校5・6年生のとき不登校だった。


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他の記事でも書いていますが、小学校高学年のとき、一時期不登校でした。


不登校時期の経過を簡単にまとめると…


◇休み明けに調子を崩すことから始まる。

◇朝、頭が痛い、お腹が痛いと不調を訴え休ませてもらう。

◇「学校行きたくない。」と言い始める。

◇母に引きずられながら連れて行かれる。

◇母も私も疲れ果て、私は家に引きこもる。

◇多分、私と母を引き離すため(?)私は入院する。

◇母との関係改善。母が前を向いてくれたことをきっかけに、私も前を向けるようになる。

◇少しずつ学校復帰。

◇中学校からは時々休む程度。


かなりざっくり言うとこんな感じです。


HSPのチェックリストに、「子どもの頃、親や教師は自分のことを『敏感だ』とか『内気だ』と思っていた。」という項目がありますが、私に場合は「思い込みの激しい子」と思われていたようです(笑)


私のどういう姿を、「思い込みが激しい」と思われたのか…謎ではあるんですが。(笑)


まぁ、多分、ダメなものはダメ。

嫌なものは嫌。

行きたくないものは行きたくない。

と言った考え方を、そう受け取られたのかもしれません。



②「学校に、もう私の居場所はない。」


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不登校だった私のところへは、近所の友達がプリントを届けに来てくれていました。


担任の先生が来たことは…なかったような、私が覚えていないだけのような、来てたけど私が会ってないだけのような…?

記憶が曖昧です。


週末だったか、友達がプリントを届けてくれると同時に、担任の先生が言っていたというある言葉を教えてくれました。


「もう、さちこは死んでるかもしれないって言ってたよ。」


これを聞いた後、しばらくの記憶が私にはありません。


高校生になって母から聞いた話だと、私は泣き喚きながら「もう学校に私の居場所はない。」と言ったそうです。


が、全く覚えていません。(笑)


その言葉を聞いた母がは、学校に電話し、担任の先生に「先生から色々言われなくても、さちこは十分頑張っています。」と抗議。


しかし、やっぱり覚えていません。(笑)


よっぽど辛い記憶は抑圧される、というのがこういうことなのかなと思います。


母の抗議を受け、担任の先生からの謝罪もあったそうですが…言っていいことと悪いことってありますよね。


教員の立場を経験すると、自分のクラスに不登校の子がいると、自分の力不足のせいだと思えてくるときもあります。


それでも、子どもの前で「死んでるかも」なんて言っていいはずがない。

クラスの友達は、私が休みがちでも遅れて行っても、いつも温かく迎えてくれたので、それだけが救いでした。


不登校の恐怖は続く。


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今となっては「不登校やってよかった。」と思える私でしたが、不登校時期を繰り返していた私にとって、「また行けなくなるかも。」という恐怖は、中学校になってからもありました。


しかし、その恐怖を一瞬にして吹き飛ばすような言葉をくれた人がいます。

中学校1年生の担任の先生です。


その先生は、家庭訪問時に私が不登校だった話が上がると、こうおっしゃったのです。


「大丈夫ですよ。私もそうでしたから。」


私と母は、まさに鳩が豆鉄砲を喰らったような顔だったと思います。


それぐらい、衝撃的でした。


先生が帰られた後、母と2人で騒ぎ立てたのを覚えています。


不登校だったことに対する後ろめたさや、恥ずかしさが少しだけ軽くなったんですね。


それと同時に、「私もそうだった。」と経験を話すだけで、救われる人がいるんだということにも気づくことができたのです。


そして、私もそうやって自分の経験を話してだれかの力になれたらなぁと、漠然と、中学生ながらに思い始めたのでした。


今の「不登校で悩む人のために何かしたい。」という私の行動原理は、中学生時代から来ています。


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ほんと、人生なるようになってる。

これからもがんばろっと(*^^*)